マルボロ

 

 そこは、白い壁、白い柱、白い床の部屋で、生活感が微塵も感じられなかった。そこでは、煙草の紫煙だけが生き物だった。
「やぁ、いらっしゃい」
 彼は白い服を着て白い椅子の上で、私を振り返った。
「どうも。…あまり居心地が良さそうじゃないわね」
「そんなことないよ、快適さ」
「ならいいけど」 
 彼の煙草は、よく鼻についた。
「ねぇ、その煙草、名前何ていうの?」
「これ?マルボロ。意味はね、『人は本当の愛を見つける為に恋をする』だって」
「へえ」
「この意味が気に入っちゃってさ。それ以来ずっとこれ」
「ふふ、で、本当の愛は見つかったの?」
「まだ。…協力してくれる?」
「高いわよ」
「手痛いね」
 苦笑したのだろうか、少し顔が歪んだ。
 彼は表情というものを表すことが出来ない。生まれた時からの障害だそうだ。
「今日は何しに来たの?」
「別に。様子見に」
「そう」
 そう言うと彼は眼を閉じた。
 私は特に何も言わず、ただ見守っていた。
 白い灰皿に置かれていた煙草から立ち上った紫煙が彼の周りを囲む。
 突然ビクンッと痙攣したかと思うと、ゆっくりと強張った身体を弛緩させていった。と同時に煙も霧散していった。
「…何か見えた?」
 その私の問いに彼はくっくっと顔を歪ませながら笑った。
「やっぱりこれが目当てだったんじゃないか」
「…ま、興味は当然あるわよ。私も生活があるし」
「残念、今日は君のためのじゃないんだ」
「誰の?」
「企業秘密」
 彼は手元にあったメモに素早く何かを書き込み、それをライターで燃やした。


 埋められた人々。
 それは過去の遺物だ。
 それを栄養に木々が育つ。
 増えすぎた自分たちをどうするか、困った過去の人たちは人を大量に肥料の為に埋めた。もしくは、そう志願して自ら埋まった。
 真相は定かでないけれど、これが今のところ有力な説だそうだ。
 過去の人が完全な姿で発掘されることは滅多に無い。
 そしてそれは貴重な研究材料となり、当然高額で取引された。

 彼はそんな人々の正確な位置がわかるという能力を持っていた。
 煙が収集してきた思念を読み取り、情報を提供する。
 これもまた高額で取引が行われた。
 燃やしたメモには、おそらく読み取った人の名前が書いてあるのだろう。それが彼なりの供養なのだ。

 煙が消えてもその人が話しかけてくることがよくあると彼は言っていた。
 大体は苦しいとか寂しいとかいう感情をぶつけてくるそうだが、たまに違うのもあるそうで。
 ただひたすら想い人を求めていたり、家族を案じていたり。
 そういうのがあるから、人間が嫌いになれない、とあの少し歪んだ顔で苦笑していた。


 さっきニュースでまた新しい過去の人が見つかったと報道されていた。
 映像に写されたその人はまだ少女で、あどけない顔をして眠っていた。
 ふと、彼女は何か話しかけてきたのだろうか、と気になった。
 気になっただけで彼に確かめはしなかった。



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後ろの方に『煙』というお題発見。あはは、どうしましょ。

2003.7.25